1994年、日本のビール業界は大きく変わった
1994年、日本のビール業界に大きな変化が起こります。
酒税法改正による「地ビール解禁」です。
それまで日本のビール市場は、大手メーカーが中心でした。
小規模な醸造所がビールを造ることは、制度上ほぼ不可能だったのです。
しかし酒税法改正によって、小規模ブルワリーでもビールを造れるようになりました。
この制度変更をきっかけに、日本各地でブルワリーが誕生し、
いわゆる「第一次地ビールブーム」が始まります。
日本のビール文化が、大きく動き始めた瞬間でした。
酒税法改正の背景
1990年代、日本では規制緩和の流れが広がっていました。
バブル崩壊後、日本経済は新しい成長の形を模索していました。
その中で注目されたのが、地域産業の活性化です。
地方自治体は観光資源を増やす方法を探していました。
海外では、小規模ブルワリーが地域文化として根付いている例もあります。
アメリカではクラフトビール文化が広がり、地域のビールが人気を集めていました。
こうした動きも参考にしながら、日本でも小規模醸造を認める制度改正が検討されていきます。
そして1994年、酒税法が改正されることになります。
醸造免許の規制緩和
酒税法改正によって、ビール醸造免許の条件は大きく緩和されました。
それまでビールを製造するためには、
年間200万リットル以上の生産能力が必要でした。
これは大手メーカーでなければ難しい規模です。
しかし改正後、この条件は
年間60,000リットル(60kL)
まで引き下げられました。
この変更によって、小規模な醸造所でもビールを造ることが可能になります。
さらにもう一つ重要な制度があります。
それが発泡酒の醸造免許です。
発泡酒の場合、必要な年間生産量は
6,000リットル(6kL)
と、さらに小規模な条件でした。
この制度によって、レストランブルワリーや小規模醸造所でもビールに近い飲料を造ることができるようになります。
こうして日本では、小規模ブルワリー誕生の環境が整っていきました。
全国に広がる地ビール
酒税法改正の後、日本各地でブルワリーが誕生します。
温泉地
観光地
テーマパーク
レストラン
こうした場所で、地域のビールが造られるようになりました。
「地ビール」という言葉もこの頃に広く使われるようになります。
地元の水
地元の食材
地域のブランド
ビールは観光資源としても期待されました。
地方自治体や企業がブルワリーを設立し、日本各地に地ビール施設が誕生していきます。
第一次地ビールブーム
こうして1990年代後半、日本では地ビールブームが起こります。
当時は、地ビールそのものが珍しい存在でした。
「地元のビールが飲める」
「その場所で造ったビールが飲める」
こうした体験が人気を集めます。
地ビールレストランやブルワリーは、観光地の新しい名物になっていきました。
また、それまでの日本のビールはラガービールが中心でしたが、
地ビールではヨーロッパ系スタイルを中心に、
さまざまなビールスタイルが紹介されるようになります。
ヴァイツェン
スタウト
エール
日本のビール文化に、多様な味わいが入り始めた時代でもありました。
ブームの中にあった課題
しかし、このブームにはいくつかの課題もありました。
当時、日本にはビール醸造の経験者が多くありませんでした。
醸造設備を導入しても、発酵管理や品質管理が難しいケースもありました。
また、多くのブルワリーが観光施設として運営されていたため、
ビールの品質よりも施設運営が中心になることもありました。
その結果、地ビールの品質にはばらつきがあり、
消費者の評価も分かれるようになります。
次の時代へ
第一次地ビールブームは、日本のビール文化に新しい可能性を示しました。
しかし同時に、ビール醸造には高い技術が必要であることも明らかになります。
この後、日本の地ビール市場は一度調整期を迎えることになります。
ブルワリーの淘汰が進み、生き残ったブルワリーは技術を磨いていきました。
そしてその経験が、後のクラフトビール文化につながっていきます。
次の記事では、地ビールブームの後に訪れた
地ビール市場の調整と淘汰の時代について見ていきます。
▶ 地ビールブーム崩壊と淘汰 ― 日本クラフトビールが本当の成長を始める前の調整期【20-3】
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関連リンク
■ ビールの基本・味わい・歴史・市場までを体系的に整理した一覧記事
▶ ビール・クラフトビール基礎記事一覧
■ 日本のビール文化を読み解く
▶ 日本のビール文化を読み解く ― 開国からクラフトビールまでの歴史 ―
■ 日本のクラフトビールの歴史
▶ 日本クラフトビール史まとめ(1980〜現在)
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